朝 昼 夜 夜中

地平線の夕日

おはようございます

le vent です

「また朝が来た」 と 目覚めた時に思う朝があります  深刻という程でもありませんが

目覚める時刻は同じですから 夢のせいでは無いでしょう いつもと同じに朝の家事を済ませ 一息ついた時にもまだその感覚は消えません そんな朝が たまにあります 特別に気持ちをへこませる事由があったわけでもないのです 他方目覚めなかったら 最後の視覚的な記憶は何だったろうと 馬鹿げた想像を巡らしたりします 

残りの時間が少ないのは確かです どれぐらいの時間がまだ残っているのかさえ不明です  落ちていく知力  体力 薄くなっていく人間関係でまだ生きていけるのかあ  自分らしく終えられるのかな という不安が その原因かも知れないと思います

テレビと音楽を聴きながら淡々と過ごすだけの日々です 生を受けたことへの役目を終えたのではないか 生きるという責任はもう十分に果たしたのではないか という気がします それなのにまだ時間が残っているのかと・・・

鮭は生まれた川に戻り産卵してその生を終えると聞きます その潔さと責任感 自然界の摂理でしょうが le vent のまだいくらか体力がある現在はいいですが これからの時間は 試練と修行にしか思えません なんと人の生は過酷なものか 

お隣の90歳を半ば超えたご婦人が自虐的に言われたことがあります「長く生きてしまって・・ 死ぬ機会を逃すとなかなか死ねないものよ」「でもね ここまで生きたらまた欲が出るのよ」先に何があるというのでしょう   

このような朝は予告なしにやって来ます le vent を襲う厭世観というのは老人特有のことでしょうが 現に加齢とそれに伴う行動と知力の低下は 不安材料でしかありません 老人の日常にまた欲が出るというのは どういうことかな と 考えます  

毎日バッハとスズメたちのご飯の世話があります それは投げ出せません 老人le vent の欲はバッハとスズメと時間を共有することかな 特にバッハとは 朝も昼も夜も夜中も

  

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