おはようございます
le vent です
過去に「産めよ 増やせよ」という時期があったと聞いています 戦時中戦闘員の予備軍のためだったかもと考えたりします 最近この言葉が何気ない会話の中に度々出てくるようになりました
以前「女性は子供を産む機械」と責任ある地位の方が公言なさったことがありました つい本音が出たのでしょうが 女性の人権 権利 社会的地位などが認められるようになった昨今ですが 散々女性を卑下してきた社会が「どうぞ子供を産んでください 金銭的援助も致します 子育て子守は社会でいたします」と表現が変わりました
女性が社会に進出するのが普通になった昨今 その自由さの獲得は家事に縛られていた世代には言葉にならないほどの解放感であり 社会進出が当たり前の世代の女性たちにはそのうえ 仕事も 結婚も 子供も という夢も希望もあるはずです 現実として子供に関してはその養育 教育等々その大変さ難しさを思い 自分の自由時間と子供の養育等を天秤にかけ二の足を踏むこともあるかもしれません
出産は医学や科学が進歩しているとは言え当人には命がけです しかも生まれた赤ちゃんには言葉では尽くせない母性が生じるはずです が若い家庭での子育ては母親が独りぼっちで奮闘の毎日 特に活発な乳幼児期は気持も体も休まる間もありません それがずーっと毎日です 父親の子育て参加という錦の御旗があっても限られた方々 時間のみ 相談する機関があるにしても行く間もないうえ相談は相談です・・ その性格によっては悩みも深くなります
子供を預けて両親が外に出ると その子供の大事な乳幼児期に母(父)親との交流は朝と夜のバタバタで終わるようです 両親と乳幼児期の子供の成長とのかかわりこそ子供のそれからの成長の礎になると教わったのですが 最近はその大事な乳幼児期に画一化した団体生活を送らせる・・そのほうがいい子に育つという考え方 時にはそこで仕事に 責任も自覚 もない職員に出会う不幸にも出会うリスクさえあるのですが
出産の後幼児の発達段階に応じた親離れまで 母(父)を時間的 肉体的 経済的に援助する方策は考えられないものだろうかと思います 机上で計算できるほど子供の心の発達は単純ではなかろうと考えます
それにしてもなぜ人口を増やさねばならないのでしょう 過去の「生めよ増やせよ」と同じく 将来安い賃金の画一化された労働力予備軍のためなのかもしれませんが 少ない人口で個々の生産性をあげる方策など考えられないものなのでしょうか 便利な社会はもうこれぐらいでいいのではありませんか
人口の少ない先進国も世界には多くあるようですが