蝉 セミ せみしぐれ

地平線の夕日

おはようございます

le vent です

藤沢周平さんの名作「蝉しぐれ」は 美しく風になびく稲田が目に浮かぶような文章に始まり 時代に流されていった二人 二人の中にはそれぞれに農村の美しい稲田と蝉の声があったのでしょうか 蝉しぐれ という大きな響きの共鳴音と共に実ったよう思います  

蝉しぐれ という言葉には懐かしさも郷愁もあります 夏休みになると小学校に入るまで預けられていた祖父の家に必ず毎年つれて行かれるのが決まりで 村の子供たちの元に戻されていました 小学校の友達のことなど無視され今風に言えば育児放棄 ネグレクトの一種です 真ん中を一本の国道が走っているだけの田んぼと川と山しかない村でした

村の子供たちの遊びは限られ 小さな川では小魚を追いかけるか 少し深みで水遊びをするか 勇気あるものは橋の欄干から飛び降りるか または村の神社や森の中に入って遊びまわるぐらいのことでした 最近と違ってものもなく 遊びさえ考えて作るものでした 飽きずに毎日毎日同じような遊びをしていたものです 

苔むした階段をのばった所にあった村の氏神様の境内はうっそうと茂った森で そこにはドームのなかに数えきれないほどのセミを放ったようなセミの大合唱が常に鳴り響き 渦を巻いたように波のようにその音に囲まれたものです 肌にまで感じる音の響きだったと記憶しています まさに蝉しぐれ だったのでしょう 懐かしく思いだします 今や家の近くでは 蝉しぐれ を耳にする機会はなく庭の木で鳴く蝉の声を聞くだけの夏になりました 

今年も狭い庭の隅に小さな黒い穴がアチコチにあり 早朝から蝉の元気なな鳴き声が聞こえます 羽化が上手くいかなかった羽根の曲がったままのセミ 地面に仰向けに落ちているセミ ブロックをよじ登ってるセミ 気づくと手に取って木の幹に移してやるのですが触った途端噛みつくのもいて それでも元気で鳴いてほしいと願います 

セミの声しか音のなかった昔の田舎の夏 気だるいような午後の光と蚊遣火の静かな夕方の風景 すっかり変わったことと思います TVで山なみが重なる深い渓谷 そのような山奥の傾斜地で営む農家のドキュメンタリーがありました 転がり落ちる程の傾斜地にわずかの農地 生活の不便さを問うと高齢の女性が「最近は便利になって 面白くない・・」と笑って答えていました 

あの田舎もきっと川はコンクリートの擁壁になり氏神様へは手すりのついた階段になっていることでしょう 便利になる一方の社会 遊びも与えられる物ばかり 田舎の夏の音だった せみしぐれ さえも消えてしまったかもと思います 

蝉しぐれ セミしぐれ 便利な現在には セミしぐれ としか表現できないように思います  

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