絆 虐め 今昔

地平線の夕日

おはようございます

le vent です

人生の残り時間を消化するだけの毎日が淡々と過ぎていきます 若い方々に接する機会があるとその年頃の自分を思い出し社会環境の違いを差し引いても せめてもう少し行動的な生き方はできなかったのだろうかと 後悔することもあります 無駄な時間 頑張った時間 様々な喜怒哀楽 それらの積み重ねや経験が今の知識と知恵になっているのだとは思いますが それにしても社会の様々な仕組みや成り立ちは経験で知っても と

小学校の頃 先生から世の中にはまだまだわからないこと わかってないことがたくさんあるのだと 言われたことがあります 当時は五感で知る範囲が自分のテリトリーであって 将来未来など 考えることも無く学校や近くの友達と遊びまわっていた気がします 勿論学習塾もなくお稽古事もありませんでした むしろ わからないことってなんだろうか?と疑問を感じていた程のおおらかさでした 幼い子供に 将来何になりたい? とマイクを突きつける定番の質問と その返事に戸惑う子供たち そのままの人生だったな と

貧しい時代でした 小学校では親の経済力や職業による子供たちへの扱いの差別が普通にありました お家がお金持ち!だからと子供ながらに理解し それでも理不尽さはそれとなく感じていたように思います 忖度というものだ と教えてもらいたかったものです 特に記憶にあるのは女性の先生方の依怙贔屓てす さすがに子供たちの間でも不快感は強く かといって訴えたところで先生からの仕返しは明白 親でさえ遠慮していたように思います

当時も子供同士の虐めや喧嘩はあって リーダーは数人の仲間を引き連れ評判でした しかしその虐めは 精々帰り道で待ち伏せして脅したり 通せんぼしたり 校舎の陰で喧嘩したり 突然追いかけ回したり程度でしたが 迫力はあって怖かったものてした 女の子の虐めは陰気で 苛める相手を決めてクラスの仲間外れにする という最近とあまり変わらない類のものだったように思います がそれでも最近の事件のような陰湿でしつこい凄惨な虐めは記憶にありません  

子供たちには学区の大人の存在はいつも身近でした 大人は子供たちの虐めや乱暴を見かけたり 泣きつかれると 誰彼となく戒め お説教して助けてくれたものでした 虐めた側の子供たちは 叱られ怒られた上に 親に恥をかかせるのか! と夕ご飯時に今度は親に叱られるのが普通でした 親たちの威厳と誇りの問題です 昨今はよそ様の子供へのお節介は 火の粉を浴びるか 見てみぬふりで保身にまわるか  

豊かになることは 何かを失うことのようです 絆や恥の文化も消え 普通にあった地域の絆は災害時に備えて 指導されて作る社会になりました・・・たかが数十年の間に 

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