おはようございます
le vent です
今年も無事にお正月を迎えることができました 年末の大掃除だとかお餅つきだとかおせち料理だとか 各家庭のお正月を迎える様々な非日常の作業は簡略されてるのですが それでもその簡略されたはずの作業に何かとせかされるのです が年越しのお蕎麦だけは例年通りです 少なくともカップそばではありません 高齢者の意地です
元旦のTVは衣装と雰囲気だけの 録画での新年の挨拶たと 初日の出はヘリで中継するというお手軽さ 自然界の荘厳さと感動を崇めることもありません 近くの或は遠くの山頂まで自分の足で登って迎えた初日の出の感動を 商業ペースに置き換える無神経さ 高齢者が感じるものは消えていきます 最も高齢者は過去の生き物ですから
もう数十回もお正月を迎えたものには どの時代のどの時の お正月 新年が記憶に残っているか懐かしむだけの行事になりました
国旗と一緒にささやかでも設えた門松は紙にプリントされたものに変わり いつの間にかそれも消え 代わりに賑々しい華やかでカラフルにアレンジした無国籍風のお飾りが玄関を飾ります 次世代はどのように変わっていくのでしょうか 我が家の部屋のお飾りも 生餅でなくプラスチックでガードされたお餅になり 三宝も紙製 なんと 味気ない生気のない乾いたお正月なのかと眺めていました
社会は光のようなスピードで変化し 日常も便利に簡単に指一本で生活できる時代です 何も考えずとも何も工夫せずともその流れにのりさえすれば 生きていけるのです 人類の頭脳で進歩し変化していく社会とその仕組み どこまで変わっていくのか せめて情緒や感動ぐらいは残して欲しいものですが
今に人類もサイボーグに変わってしまうかも・・・余計なお世話