おはようございます
le ventです
今年も一年の四分の三の時間が過ぎました le ventにもいつものようにまた朝が来ました 朝の再来を考えることなく延々と生きて来たことに気づきます 数年前から朝の目覚め時にため息とともに また朝が来た!と思うようになりました 若い時と違い 今日は何しようか という前向きな気構えはありません ただ朝を受け入れるだけのことです
今朝はご近所のご婦人に珍しく会い 股関節の手術に踏み切ることになった という話でいつもと違う朝の時間経過になりました 最近 殊に人と話す機会はありませんのでついお話が弾んでしまったように思いますが ただ手術の内容を細かに説明されても想像には限りがあり リハビリを頑張ってください という位の発言しかしなかったように感じます
毎日無言で過ごしているかと言うと スマホのラインというアプリは 短い言葉のやり取りが多くいつの間にか会話をしていると勘違いしてしまいます 言葉を声に乗せるわけではなくスマホの画面に文字として標すだけなのに不思議な感覚です 夜 今日は声を出したかなあと思うこともあるのですが 愛犬バッハに話し掛けたのみということも度々あります それでもラインの交換は会話に対する欲求不満を抑えてくれています
あとどれくらいの朝の数が残っているのか知る術もありませんが 普通に就寝して朝が来なかったという人生の終わり方が一番の希望の形に思っています ドラマでよく見るベッドを覗き込まれて静かに息を引き取るなど絶対に避けたく 隣の部屋の話し声を耳にしながら眠りにつくという終わりの時でありますように と 願うのみです 頑張って生きて来たご褒美にしてほしいものです
但しそれは 愛犬バッハを看取ってからであることが必須条件です よく聴く 無 の精神状態では無い故 欲 に過ぎないと一蹴されそうです