幼児教育 絆

地平線の夕日

おはようございます

le vent です

先日 ラジオで久しぶりに「幼児教育」という言葉を耳にしました 幼児の発達段階に応じたその心と体 メンタルに関する内容で昔大学で講義を受けた幼児教育と似たお話に懐かしく思いました  

講義を受けた頃はもう半世紀も昔です 半世紀の時の流れは 今や社会や環境も比較にならない程の変化をもたらしています 当時の幼児教育の内容も時代遅れになっているのかもしれません 静かな穏やかな講義をなさる先生でしたが 女子学生に向けては将来母親になった時の子供との信頼関係の作り方のアドバイスや 男子学生に向けては 息子とは母親を挟んだ三画関係になるぞ など笑いを交えた講義をなさったものです  

幼児教育に関しての情報や知識は 今や誰でも本やスマホやPCの検索によって得られるという時代です 昔のように親やご近所の方々のお世話になるなど耳にしなくなりました 社会の変化は心にも影響しているように思います 個人主義が徹底し親世代もママ世代も自分の意見があり 生活は他人との比較に重きを置き 他人に私的なことを知られることには警戒感を持ちます ガードは硬く理由は何であれ他人に頼むことは まずあり得ません 昔は「お互いさま」の助け合いであった日常のことでも そこには お互い大きなデメリットが生じる危険性があります  

時間単位の乳幼児お預かり施設 生まれて間もない時期から乳児を預る乳児園施設 幼稚園より預かり時間の長い保育園など身近にあります 但しすべて金子を必要とします 女性はほぼ社会に進出し母親もその母親も 働く時間 或いは自分だけのための時間の確保が第一です 「女性は子供を産む機械」と発言されて大騒ぎになってから 長い時間は経っていません

半世紀前の幼児教育の講義で印象に残っているのは 幼児の内面の発達を第一にしていたことです まだ目がはっきり見えない時期でもママの声は聴き分け その腕の抱かれ心地は理解するものだというような 古臭い講義を受けたものには 人任せの幼子の託児に 何かしらの消化不良があります 子供が三歳になるまでは 親は声の届く範囲にいるものだという 今や袋叩きに合うような教えは消えてしまっています 子供の頃過ごしたその時の社会通念が心に宿ります 

「三つ子の魂百まで」女性が仕事をするのは せめて幼児が三歳を過ぎてから 自然と親離れするのを待ってからといわれていた時もあります それにしても最近の若い男性の優しく親切なこと 少なくとも仕事等で接する機会のある若い男性は 皆が驚くほど親切で優しいのです 「自分で育てるより預けた方がいい子に育つ」と公言する若いママ そういうことなのか…と 

どの時代でも物理的な時の流は同じですが 子供の成長の過程も同じです その内面の成長には親の経験といくばくかの時間的犠牲等は必要とした遠い昔の教授の講義を思いだします 近くの保育園の子供たちの声 校区の運動会の一日の歓声 その年の締めくくりの除夜の鐘の音等々への抗議 自分が子供の頃でも同じだったことはすべて忘れ 成人した現在の権利が先行し世論を巻き起こせる社会 法治国家ですから当然ですが ヒトとしての受容も寛容も無くなっていくのも変化進歩の一つなのでしょう  

多くの幼児たちは最大公約数的な価値観の一斉保育を受けながら 家庭では知育先行のしつけを受ける 最近 公園で父と子の遊びをみる度にコロナが収まったら あの姿は見られなくなるのかなと幼児の明るい笑い声を聞きながら思うのです あっという間の幼児時代 

災害がある度叫ばれる「絆」は 昔のように自然発生的なものではなく 意識して努力して作らされる「絆」になりました 都会ではそれでも・・・できるのかなあ   

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