世の荒波と正義 虐め    

地平線の夕日

おはようございます

le vent です

学校や家庭で教わる倫理や道徳や社会等は 実社会とは違うこと 正義は絶対では無いこと などの教えはないように思います 性善説です 教師の間でも虐めがある時代です 社会はきれいごとばかりではではない 常に正義が勝つと信じることが正しいとは限らないということも せめて匂わしてほしかったと思います  

社会生活は他人に対して強い性格の方に有利だと思いました 正義も理性も関係なく感情や腕力を優先できるか否かです 社会は正義と信じ安心して行動すると弾かれます 法のもとに平等であっても 実感するには ことに虐められていると大変な労力が必要です 若者を社会へ送り出す時の常套句 抽象的な「社会の荒波」などと表現せず 気を付けろ というはなむけの言葉があってもいいのではとも思うのです 他人を簡単に信じるな!と   

やったもの勝ち と思える建物があります 高さ制限のある小さな街になぜか一棟だけびゅんと 周りを睥睨している背の高いマンションです 私有地を一部公共に提供する条件などどこ吹く風 ほとぼりの冷めたころには新しく頑丈な塀を作り ロープを張り 「私有地に付き侵入するな 前に駐車するな」の看板まで設えてあります 行政は何もしません 行政を司り実行しているのは正義を教わった人たちです この建物の後は高さ制限が守られているようですが また出現するに違いない! 誰もが不信感を持っています どうせ何らかの力が働くに違いないからです 正義なんてあり得ません

虐めを知っていても誰も咎めない 関わらない 責任は言葉のみ 犠牲者が出て初めて関係者が横並びで頭を下げて ハイ お終い!です 犠牲者が自分の身内だったらそれで納得できるのでしょうか 命を大事にと教えられながら 大人たちの対応を見ている子供たち 虐めが原因で命を絶った方には ハイ終わり という断ち切り方 他に何すればいいの? と反論されそうですが 大抵がほったらかしにされた末の犠牲者だと思うと 苦しみ悩んではかなく消えたへ若い命に心を馳せます 命は国の宝です

虐めは相談しなさいといいながら 相談を信じることもせず むしろ本人が悪いと更に傷つけ その上 巧妙な虐めを受けている長い時間の間 犠牲者に寄り添ったことも感じられない 実態がつかめなかったといって 頭を下げてお終い! 終わってお決まりの第三者委員会 誰も心の中を形にはできません 形としての証拠にできません その術をいじめを受けているものに教えてほしいものです  

組織内での虐めは並列ではなく 肩書きを利用した上下間 組織公認と同じです 虐める側には 当然ながら正義も恥も外聞もありません 失うものが無いからでしょう 虐めに対する制裁は 喧嘩両成敗というものではなく 圧倒的にいじめる側が有利だと思います    

社会が虐めを作り出すのか 虐め因子が権利を主張しているのか いずれにしても心の問題です いつの間にか消えてしまった日本の 恥 という文化 代りに表に躍り出て来たあらゆる権利ですが 虐められる者に権利というのがあるのでしょうか 昔から虐めはあったにしても 今ほど虐める者が優位だったことは無かったかもしれません   

社会の荒波は 人のせいであること そろそろお人よしを卒業しないと 虐めは亡くならないと思うのです 性悪説です 

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