エイプリルフール 春

地平線の夕日

おはようございます

le vent です

明日はエイプリルフールだから気を付けよう と 一応考えて眠りについたものですが朝になるとすっかり忘れてしまい 仲間の作り話の嘘に乗せら 仲間の笑い声に包まれて過ごしたこともありました 最近は エイプリルフール という単語さえもすっかり聞かなくなりました 

世の中は複雑に進歩し変化し 人々の心の在り方も価値観も複雑になり 個人主義の優先は エイプリルフールのように友だち仲間で互いに嘘で 楽しみ 単純に笑い合う機会もなくなりました 人と人の距離は近く かといって遠ざかるのも不安で 心地よいはずの友達間の信頼感も安心できないように思います 

話す言葉一つにも 人と環境に見合った複雑な要素を瞬時判断するは当たり前で 息が詰まるように思うこともあります 言葉の選択を間違うといつの間にか 虐めだパワハラだセクハラだ等々に祭り上げられる恐れがあります エイプリルフールのユーモアなど無きに等しいのです 価値観の違い 判断の違いは埋まりません

桜の季節 春の盛りに心もウキウキと 悪気のないエイプリルフールの風習は長い年月楽しんだ記憶があります 世界の大きなメディアが この風習を利用してさも事実らしくニュースを流し そのことがまたニュースの話題に取り上げられていたほどです のどかな時代がありました 

騙したり騙されたりの互いのアクションも 「エイプリルフール だよ」で笑い飛ばされ ひと時を楽しんでいた懐かしい時代 年寄りの郷愁で済ませばそれだけです 一方 もし今の時代にこの風習が 昔のように使われて残っていたら今の社会の状況からして「おぉ 恐ろしい!」どのような(”^ω^)・・・起こるかな です 昔は みんなの心の中に 春のように穏やかな暖かい心の余裕があった と言ったら非難されるかも   

親しいと思っている知り合いでさえそれなりの距離をもって接しないと 何気ない言葉や行動に異常に反応されることもあります ましてや突然悪戯などしようものならそのreactionの想像がつき 恐れおののきます 疑心暗鬼の人間関係には le vent は慣れていません   

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